さつま通信

2011年4月2日土曜日

第2章003:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 本島へ進路を取る水道に全舟艇が乗った時、桟橋の方向を見つめていたアロウの瞳に不思議な色彩が広がった。夜の海が、まるで千の夜光虫が泳ぎだしたように輝き始め、やがてコバルトブルーが網膜いっぱいに満ちたかと思うとアロウの周囲からエンジンの音も人のざわめきも海風の音も一切が消え去っていき、魂までも戦かせるような一点のオレンジが波間に現れたと思うと次第にそれは広がり始めて、故郷ペリリューを抱く南の大海原のすべてを、悲哀と恐怖に縁取られた鮮やかな色に染め上げていった。

 髪に挿していた赤い花を彼女が海へ投げ入れると、大昔パラオの島を釣り上げたという伝説の巨人が波間から浮かび上がり、投げ入れた花は見る間に巨人のたなびく衣となって海を覆い、その鮮血のような色彩は海と空を惨烈に染め上げながら死者達の隊列へと人々を誘うように思われた。

 一切の音が消えた世界で、自分の意志では閉じることができない瞳を大きく見開いたまま、彼女の胸は恐怖で締め付けられていた。敵味方の多くの生者達がまもなく異界へ否応なく旅立つという予感が、強烈な色彩に圧倒されながら寂寥と無力感に苛まれるアロウの心深くに沈み、楽園を一変させる荒れ狂う修羅の時が、まるで劫初から約束されていたように抗えない強い力で準備されているのが感じられた。

 大好きなおにいさん  アロウは思った。おにいさんも、あの優しかった兵隊さん達もみんないなくなってしまうのだろうか?私は大人になったら、おにいさんのお嫁さんになって日本に行ってみたい。たくさん着飾って、おにいさんが育った国へと連れていってほしい。ヤスクニジンジャってどんなおうちなんだろう?おにいさんは戦争が終わったらそこにいると言った。神々は助けてはくれないのだろうか?誰も戦争なんてしなくなればいいのに。

 軍服の群れが音もなく天空に吹き上げられていく。伝説の巨人は、物憂く疲れたような眼差しで鮮やかな色彩の衣を広げながら、敵味方の兵士達を包み込み、異界へと高く遙かに連なってゆく隊列に優しい仕草で彼らを誘っていくのだった。

 海を見下ろした巨人の瞳がアロウを捉えたと感じた刹那、波を舟艇が切る音やエンジンの咆吼 そして頬を叩く風のどよめきが一度にアロウの耳に飛び込んできた。いつのまにか倒れ伏していた船底から顔をあげてみると、本島の影が僅かに見え始めていた。

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