島には、南洋興発株式会社が昭和九年暮れから採掘を始めていた燐鉱の坑道が残っていた。
地区隊はこれを縦横に活用して連絡通路に使い、補修しながら地下の陣地をつないでいく作業を着々と進めた。
夜襲時に至近距離で使うための吹き矢も作られ、銃剣や吹き矢に塗るための毒薬も小部隊毎に準備された。
棒地雷を抱えての戦車や装甲車への肉迫攻撃の演練も繰り返され、敵の迫撃砲等を爆破する夜間襲撃方法もまた研究された。
夜襲を恐れて、夜を昼に変えるために間断なく敵が打ち上げる照明弾への対処として、すぐに片眼をつぶり、決して直接に照明を見つめないことが徹底的に演練され、各火器の夜間の射撃照準訓練も入念に実施された。
高地の陣地帯へと攻め上がってくる敵兵と近接してくれば、友軍相撃を避けるために艦砲も空爆も止まる。敵の弾幕が張られなくなってからは正確な狙撃が総てだ。
ペリリュー地区隊には、支那大陸時代から歴戦の手練れで知られた優れた狙撃手が多かった。
物量に物を言わせて戦車や装甲車両を先頭に立てて平押しに攻めてくる敵に対して、冷静な一撃を命中させてその勢いを鈍らせようと、ちょっとした空き時間にも兵士達は小銃の基本射撃姿勢を演練したり、実包を装填せずに、静かに引き金まで落とす射撃予習を行ったりと、訓練に余念がなかった。
慌てて強く早く引き金を落とせば、銃口がブレて弾着が大きくズレてしまう。最初は僅かに早く引き、あとは水鳥がふわりと水面に舞い降りるかのように静かに絞り込みながら発射する。
初心に返ってこういった射撃要領を確かめながら、兵士達は敵兵に前進への高い代償を支払わせようと寸暇を惜しんで陣地構築の合間に訓練に励んだ。
手榴弾の一斉投擲と重擲弾筒の発射も入念に訓練した。また、僅かな資料を基にしてアメリカ製の小火器の操作法も兵士達は学んだ。これは敵の遺棄死体から軍服と装備を奪い取り、敵兵に化けて夜間斬り込みに行く準備だった。
同様に戦車兵達は、敵戦車の操縦法や射撃装置の概要を教育された。戦車隊幹部は、自らの備砲では敵戦車を貫通できないことはわかっていたため、砲塔が交差して身動きができないような接近戦に持ち込み、歩兵の肉薄攻撃でキャタピラを切った後で敵戦車に乗り込んで砲塔を回してなんとか砲撃を加えようと考えていた。ジープに積まれた車載無反動砲や、歩兵の肩撃ち式バズーカ砲の存在はほとんど知られていなかったが。
島を取り巻いているリーフにもまた、爆雷を仕掛け、水中障害物を設置する等の工事が行われていた。
上陸準備で、ある程度は敵の処理班が除去するだろうが、設置した総てを発見して処理することは絶対に不可能であり、生き残った障害物は必ず上陸用舟艇を粉微塵に吹き飛ばしてくれるはずだった。
地区隊兵士達は各々の持ち場で迫り来る上陸の時に向けての準備を細心の注意を払いながら綿密に進めていた。
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