さつま通信

2011年3月26日土曜日

第2章002:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 桟橋付近の密林に集まった島民のざわめきが寄せる波の音に溶け込んでいく。香月春彦上等兵は陣地構築作業中に動作が緩慢だとよく平手打ちをして気合いを入れていたルダンとバラバルの太ったシルエットを人混みの中に探していた。

 「ルダン!バラバル!どこだ?現在地を知らせろ!」やや笑いを含んだ大声が慌ただしさを増す海浜に何度も何度も響いた。

 椰子の根本に腰を下ろしていたルダンが先に気付いて、僅かな身の回り品を持ったバラバルと一緒に「香月上等兵殿 ここにおります」と精一杯の声を張り上げて答えると駆け寄った。

 砂浜で向かい合うと、香月上等兵は持っていた小さな包みを二人の前に少し上げてみせ満面に笑みを浮かべて言った。

「貴様らはよく頑張った。おかげでアメリカさんに一泡吹かせてやれそうだ。少しだが甘味品と煙草を入れといた。向こうで使え 二人とも達者で暮らせよ」

 ルダンとバラバルは手渡された包みを持ったまま互いに顔を見合わせていたが、たちまち両眼に涙を溢れさせた。

「上等兵殿!いただけません これから戦う上等兵殿が使ってください!」二人は声を振り絞って叫んだ。

「馬鹿野郎 人の好意はな ありがたく受け取るもんだ。日本ではそう決まってるんだぞ。おまえ達は、いつか日本に行ってみたいと言ってただろう?日本の決まりを知らないようじゃ行くことはできんぞ」香月上等兵は日焼けした精悍な顔から夜目にも白い歯をこぼしながら笑った。 
 
「男が泣くな!」二人の肩に手を置くと軽くたたきながら「それも日本の決まりだぞ」と彼は付け加え、無理に振り向かせると舟艇が待つ方へ二人を押しやった。

 待機中の兵員輸送用舟艇がエンジン音を立てている。兵士達は島民の誘導を手際よくキビキビとした動作で進め、老婆をおぶい、幼児を肩車して運んだりしながら顔見知りを見つけると短く別れを惜しんだ。

 目のくりくりした5歳ぐらいの子供が、時々遊んでもらった第一速射砲中隊の大庭孝治伍長にまとわりついて離れなかった。「この次はいつ遊んでくれるの?」屈託のない笑顔で少年はぶらさがるようにして聞いた。「坊やがここへ戻ってきたらまた遊ぼうな」伍長は微笑みかけると、幼くして死んでしまった弟の形見だった小さなブリキの戦車を少年の手にそっと握らせた。

 空襲への警戒は怠れない。月が雲間に隠れがちな時間帯を利用して、死を運ぶ鳥達から人々を逃れさせなければならないのだ。

 誘導指揮にあたる北村士官候補生に髪の長い少女がそっと歩み寄った。長い髪に鮮やかな赤い花を付け、小さな白い貝をつないで作った首飾りを大事そうに手にしている。

 「お守りだから身につけていてください」大きな瞳をまっすぐに北村に向けて言った。

 視線を正面から受け止めた彼は、首飾りを受け取り不動の姿勢を取ると敬礼して言葉を返した。

「これまでありがとう アロウも大人になったら日本へおいでね」

「どの町に行けばいいの?」大粒の涙を流しながら彼女は聞いた。

「戦争が終わったら、東京って大きな街の靖国神社っていう所に僕はいるよ」

「元気でね アロウがいいお婿さんとめぐりあえるように僕が守ってあげるから」

 涙を拭ってやる物を何も持たなかった彼は、手をさしのべると優しく少女の涙をふき取り、桟橋まで彼女と一緒に歩いていった。

 「ありがとう  気をつけてね」

 最後にもう一度声をかけると彼は揺れる舟艇に少女を乗り込ませた。

 か細い腕と肩の柔らかい感触、潮風になぶられる長い髪が頬にふれて青年の若い感傷をかきたてた。

 北村候補生は帝国軍人のプライドを思って、溢れ出そうとする奔馬のような惜別の感情をかろうじて抑えつけていた。故郷に待つ妹の面影とアロウが二重写しになり、最後に玄関で包むように握ってやった妹の掌や、母の涙を思いだした。

 「乗船完了」兵士達の声があちこちで響き始めた。リミップとテルメテーツは司令部での地区隊長の怒声を思い出しながら二人で舟艇の艫に座り込んでいた。僕達だって戦えるのに そう二人は思った。信用してくれないんだな 日本人じゃないからだろうか?アメリカなんてすぐにやっつけてやるのに。二人はそんな割り切れぬ思いを抱きながら、対空監視を続ける兵士達をぼんやりと見つめていた。

 二人とも強くて優しかった日本軍の兵士達が大好きだった。少々気が短い兵士もいて、どちらかというとノンビリしている者が多い島民は往復ビンタを張られたりすることもあったけど、陣地構築作業を手伝う二人を相手に、兵士達は僅かな休憩時間にそれぞれの故郷の話をたくさんしてくれた。兵士達の出身地である茨城県と群馬県の話、特に春という季節に咲き誇る美しい桜という花と吹雪のように舞い踊りながらはかなく散り急ぐその様子を。

 二人は寒いという感覚がわからなかったから、兵士達がペリリューに来るまで戦ってきた中国大陸の冬の凄まじさも想像することが不可能だったし、暖かくなるのを待ちわびるという気持ちもわかりにくかったが、いかにも楽しそうに話してくれる兵士達の様子から彼らの強い望郷の念が胸深くに届いてくる気がした。

 故郷の料理もまた話題になっていた。もう長いこと粉味噌と炒米と塩ぐらいしか口に入らない兵士達の「家庭料理」への飢餓に二人共ふと微かに思い当たることがあって、少し辛い気持ちを抱いて家に帰ることもあったりした。

 長くはなくとも心の通いあう出会いだった。それだけに、戦いを前にして本島へ自分達だけが移されるのはたまらない気持ちがするのだった。

 「テル!元気でやれよ」沖縄 糸満出身の沖 陽一兵長が微笑んで桟橋から声をかけた。泳ぎの巧みな兵士で、その潜水ぶりには島の若者達は皆 一様に舌を巻いて驚嘆したものだった。彼と同郷の比嘉和平伍長も横で小銃を持たない左手を高く上げて振っている。みんな気さくで心根の優しい兵士達だった。

 「出発!」鋭い号令がかかり、舟艇が順に桟橋を離れ始めた。テルミテーツとリミップも思わず立ち上がったその時、海浜に近い密林から駆け出してきた一団が大きく手を振り始めた。参謀と共に微笑んでいるのは中川地区隊長その人だった。ひときわ高まる舟艇のエンジン音を圧するような力強い声が響いて「みんな生き抜けよ!負けるなよ!」そう何度も何度も聞こえてきた。

 別れの声が少年二人の胸に迫り、みるみる小さくなっていく見慣れた軍服が涙で滲んだ。

 夜空から顔をのぞかせた黄金色の大きな月が、去りゆく者と見送る者を無言で見下ろしていた。

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