聞こえてくる微かな潮騒はまるで戦争が遠い世界の出来事であるかのように穏やかな風を運んでくる。
青山は遙かな日本の都へ思いを馳せていた。栞を挟んで置いてきた、英雄クー フーリンの物語やアイルランド史の皮表紙の色と手触りがしきりに思い出された。
あれは誰の歌だったろう?「遠き都に帰らばや」という一節だけが繰り返し繰り返し浮かび、青春を過ごした東京の風景が色彩も鮮やかに星空に描き出されてくる。
敵が上がったら砲身が焼けるまで撃って撃って撃ちまくるのみだ。撃ち尽くしたら歩兵になって先頭に立って斬り込もう。
戦争が終わったら・・・亜希子とヨーロッパへ行こう。博士号を取って大学で教えたい そのためには戦い抜いて転戦を・・・
本土へ敵が上がるのだけはどうしても防ぎたい。今の俺は自分だけのことを考えてはいけないんだ。まずは目前の部下を任務に邁進させないと 俺は将校なんだからここでこそ踏ん張るんだ 部下は俺だけが頼りなんだから。
西海岸の砂浜はとても美しい。島の緑は爆撃と艦砲射撃で焼かれてしまったけど、奴らも海の色までは変えられない。
戦争でなければ・・・少尉はふと思った。亜希子の頼りなげな細く白い肩が浮かんだ。戦争でなければしたかったことがたくさんあるような気がした。
でも今は戦いの時だ。
潮騒をさえぎるように大きく息をつくと彼は海岸線の方向を睨みすえた。
0 件のコメント:
コメントを投稿