さつま通信

2011年5月9日月曜日

第4章003:オレンジビーチ - スリーデイズメイビー

 自動砲を指揮する李 卓玄少尉は、急速に南海岸へ向けて浸透してくる敵を支えようと阿修羅のように戦っていた。飛行場をほぼ制圧した敵は、西海岸へ残る陣地群の掃討と並行して南海岸を占領確保すべく戦車を先頭に押し立てて怒濤のように進撃してきた。

 あらかじめ準備してあった航空爆弾を利用した地雷を爆発させ、何両かを動けなくしたりしたが、火炎瓶の投擲が届かなかったり、猛烈な車載機銃の掃射に圧倒されたりして、李 少尉の部隊や協働部隊の損害は急速に増えていった。

 砲弾が残り少なかった。あと数発となった時、接近してきた敵戦車の主砲と車載機銃の集中射を浴びて少尉の指揮下にあった最後の自動砲は粉微塵に砕け散り、負傷してもがく兵士達をキャタピラで踏みにじって戦車は突進してきた。

 後続の海兵達は喚きながら自動小銃を乱射し、僅かでも動きのある個人壕には手榴弾を投げ込みながら前進してくる。少尉は手元の擲弾筒を操作して残弾を総て発射して数名の敵兵を倒し、破壊されずに残っていた一基の迫撃砲から数発の砲弾を連続して敵の群れに撃ち込んだ。戦車が一時停止し、随伴する海兵達に動揺が走った間隙を突いて少尉は後方の壕へと退避するために走った。

 あがった息を静め、周囲を見回してみると、もはや掌握できる部下は一人もいなかった。轟音を轟かせて上空を通り過ぎる飛行機を見上げると、翼に白く描かれたソロモンの星が目に入った。

 あちこちに大きく空いた艦砲射撃の穴を避けながら接近してくる戦車と、随伴してくる海兵の群れを見つめながら、李 少尉はいつも胸ポケットに入れている北之口大佐に贈られた万年筆をしっかりと押さえてみた。

 父とも慕った大佐の慈愛に満ちた温顔が鮮やかに浮かんだ。自らも重傷を負いながら、懸命に少尉を救おうと力を尽くしてついに絶命した日本人の部下の笑顔もまた懐かしく甦った。

 日朝の大義に殉ずる時は今だ。祖国朝鮮は必ず独立を果たし日本と永久の盟友となる。大佐と同じように俺は日朝の架け橋となろう。いつの日か必ず、この大戦争の最後には日本が勝ち、アジアはすべて植民地ではなくなり独立する。

 雄々しく振る舞おう。今の俺は大日本帝国陸軍の将校だ。そして、古からの花郎精神を受け継ぐ朝鮮民族なんだ。恥ずかしい振る舞いはできない。

 少尉の壕の数十メートル手前で突然に敵の動きが止まった。

「降伏しなさい」抑揚が少し変な日本語がスピーカーから鳴り響いた。

「両手を上げて出てきなさい。捕虜になれば命は保証します」

「今日もあなたの仲間がたくさん降伏しました。みんな無事です。何も心配いりません。こちらへ来れば食料も水もたくさんあります。」

 たどたどしさが残るその声は、一斉に銃声が止んだ静寂をまといながら、まるで生への希求を両腕に抱いて優しく少尉に差し出すように風に乗って流れてきた。

 心配はいらない 心配はいらない 無事です たくさん降伏しましたか・・・ 命は保証する?誰の?この俺の命をか?保証されたその先は何が待っているのか?

「もうじゅうぶんにあなた方は戦いました。義務は果たしたのです。さあ 早く両手を上げてこちらへ出て来なさい。ここで死ぬよりも、生きてまた国に尽くせばいいではありませんか」

 昨日来、多くの部下達が雄々しく戦って倒れてきた。砲弾を撃ち尽くすと棒地雷を抱いて戦車のキャタピラに身を投げ出していった者。立ち撃ちで海兵を倒すと見る間に自動小銃の連射で蜂の巣のようになって戦死した者。銃剣を振るって敵を串刺しにした直後に車載機銃に撃ち倒された者。

 上陸以来、炎暑に耐えながら共に苦労してきたかわいい部下達の一人一人の笑顔が瞼に浮かんでくるような気がした。もう一度、冷たい水を腹いっぱい飲ませてやりたかった。腹は減っていなかったろうか?みんなよくやったぞ。貴様達を指揮できて俺は幸せだった。本当にありがとう。

 一人一人の部下を抱きしめてやりたい衝動に少尉は駆られた。誇らしさと愛情が胸の奥底から突き上げるように沸き上がってきて、熱い涙が頬を濡らして流れた。

 拳で涙を拭ってから、おもむろに壕の上に身を乗り出すと少尉は敵兵に向かって大きくゆっくりと左手を振った。

「その場に武器を置いて両手を上げたまま、こちらへゆっくり歩いてきなさい。」スピーカーが繰り返し言った。

 壕の前に仁王立ちになった少尉は、屈み込んで十四年式拳銃を地面に置いた。瞳は、自らに銃口を向けて凝視している敵兵達から瞬時も逸らさないままで。

「ジャスト モーメント プリーズ!」

 李 卓玄少尉はそう敵に叫ぶと煙草に火を付け、落ち着いた様子で深く吸い込んだ。煙が緩やかに立ちのぼり、少尉は間近に迫った敵兵達を見つめた。

 さあ いよいよだ。北之口大佐殿 自分は国軍の将校として最後まで任務に邁進致しました。これからお会いします。

 煙草を吸い終えると少尉は敵に頬笑んだ後、空を仰ぐと大きく息を吸い込んで振り絞るように叫んだ。「大韓帝国万歳!」そして、ゆっくりと取り出した九四式拳銃を落ち着いてくわえると発射し前のめりに倒れた。

 それは、南海岸地区隊の総ての抵抗が潰えた瞬間だった。海兵達は言葉もなく立ち尽くしていた。装甲車両の低いエンジン音の響きと打ち寄せる潮騒の音だけが死者と生者の間を流れ、まるで憎悪が荒れ狂う殺戮の修羅場に、束の間の安息と悲嘆が羽を休めに舞い降りてきたようだった。

0 件のコメント:

コメントを投稿